ピカソは、その人生の中で、大きく画風を変えたことが何度もあります。
これほど大きく異なった画風の絵の数々は、一見すると同じ画家が描いたものとは思えません。
青の時代以前、バルセロナやマドリードで描かれた絵画は、西洋絵画の基本に忠実な秀作ばかりです。
その後、青の時代、ばら色の時代を経て、名声は確固としたものとなります。
ばら色の時代以後、ピカソはその作風を大きく変えました。
アフリカ彫刻の時代、キュビスムの時代に描かれた絵画を見ると、明らかにアフリカの影響を受けていることがわかります。
当時、フランスが推し進めた植民地政策により、アフリカから多くの美術品がフランスにもたらされました。
アフリカの影響が色濃く出ている作品が「アビニヨンの娘たち」だと言われています。
アフリカ文化だけでなく、日本の浮世絵の影響もあるのではという指摘もあります。
「Raphaeland La Fornarina」は、日本の春画と見紛うばかりの構図です。
このように、非西洋的なものを取り入れることで、ピカソは近代西洋文化を大きくけん引したわけです。
真に天才であったからこそ、果敢に異文化を取り入れることができたのでしょう。